人気スニーカーの歴史。流行りの靴をまとめた134足
時代によって変わる流行スニーカーの歴史
今は履かれている人気スニーカーの「コンバースオールスター ジャックパーセル」や「アディダス スーパスター」のオリジナルは、1960年代に作られたものです。
「コンバースオールスター ハイカット」については、2017年で100周年記念です!
1917年に作られた靴が、今でもスニーカー定番アイテムとして履かれている理由は、デザインの完成度が高いからなんでしょう。決して履き心地は今のスニーカーと比べると良くはありませんが、シンプル・イズ・ザ・ベストを極めたデザイン性が根強い人気です。
コンバースオールスター生まれたのは、1917年でバスケットプレーヤーのチャック・テイラーの名前がつけられました。その後チャックは、この靴の改良提案や販売に携わり、人気スニーカーに押し上げました。
その功績が認められ、1946年以降のオールスターには、踝(クルブシ)の星のマークのところに彼のサインが入るようになりました。
ちなみにギネスブックで世界で一番売れているスニーカーは、「アディダス スタンスミス」になっていますが、本当は「コンバースオールスター」とのことです。
理由はコンバース社が販売された靴の数を数えていないだけで、その数を数えたら比べものにならないほど断トツ1位らしいです。歴史が全然違いますから…。
スニーカーのトリビア
スニーカーの語源は「忍び寄る」
ゴム底で歩く音がしないため、“sneak=忍び寄る”から「スニーカー」と呼ばれた。もともとは「静かに動ける靴」という意味合いが強かった。
左右の区別がなかった時代がある
19世紀頃までは左右対称の形が主流で、履いていくうちに足の形に馴染ませていた。スニーカーも当時は左右なしが普通だった。
世界初のバッシュはコンバース・オールスター
1917年発売のオールスターがバスケットボール専用シューズの元祖。100年以上デザインがほぼ変わらず現役で売れ続ける“化け物モデル”。
エアジョーダン1はNBAに禁止されていた
カラーリングが規定違反で、ジョーダンが履くたびに罰金。しかしその“禁止スニーカー”という話題性が逆に人気を爆発させた。
アディダスとプーマは兄弟喧嘩から生まれた
同じ工房から始めたダスラー兄弟が仲違いし、兄がアディダス、弟がプーマを設立。地元の街は住民が“どっち派か”で分裂したという逸話もある。
最初のスニーカーはレジャー用だった
1830年代のゴム底靴“プランジャー”が原型。運動用ではなく、裕福層の遊び用として作られたのが始まり。
バルカナイズ製法はスニーカーを長寿命にした
高温でゴムを加硫して底とアッパーを圧着する方式で、耐久性が飛躍的に向上。コンバースやVANSなどの代表的な技術。
ランシューのハイテク素材は宇宙開発由来のものが多い
軽さや反発力を追求する中で、NASA開発素材を応用したフォームや繊維が採用されるなど、 aerospaceレベルの技術が搭載されている。
スニーカー転売価格が高騰するのは「アート化」したから
限定モデルやアーティストコラボは“作品”扱いになり、二次流通で新品価格の数十倍以上になることもある。
【厳選】大人のスニーカーはこの3足だけ買えばいい!?
スニーカー134足のデザイン一覧 1917年~2013まで
インフォグラフィックから読み解く
インフォグラフィックはクリックすると拡大できます
参照元:http://www.fastcodesign.com/1672982/infographic-the-ultimate-history-of-sneaker-design
1917年:コンバースオールスター チャック・テイラー
1935年:コンバース ジャックパーセル
1950年:アディダス サンバ
1957年:コンバースオールスター ロウカット
1965年:アディダス スタンスミス
1968年:アディダス ガゼル
1968年:プーマスエード
1969年:アディダス スーパースター
1969年:オニツカタイガー コルセア
1970年:アディダス TRX Competition
1972年:アディダス SL72
1972年:ナイキ ブルイン
1972年:ナイキ コルテッツ
1973年:プーマ クライド
1975年:アディダス トリムトラブ
1976年:コンバース プロレザー
1976年:バンズ エラ チェッカーボード
1977年:ウィルソン バタ













































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