インフォグラフィックの歴史と始まり
世界初のインフォグラフィックはどこで、いつ生まれた?
1. 最も古いインフォグラフィック:「洞窟壁画」
人類初めてのインフォグラフィックは、約1万7000年前に壁画に描かれたと言われています。場所はフランス南西部のドルドーニュ地方周辺で、それは洞窟壁画として描かれていました。
📍 場所:フランス・スペイン(ラスコー洞窟、アルタミラ洞窟 など)
🕰 時代:約1万7千年前(旧石器時代)
✅ 洞窟壁画には動物の絵や狩猟の様子が描かれており、視覚的に情報を伝える役割を果たしていた
✅ 動物の足跡や天体観測の記録のようなものもあり、原始的なデータ可視化の形と考えられる
✅ 「視覚情報を使って何かを伝える」 という点では、これがインフォグラフィックの最古の例
2. 最も古い実用的なインフォグラフィック:「バビロニアの地図」
紀元前600年には、バビロニア人が正確な測量や三角測量の技術を使い、人初めての地図を作成していたと考えられています。
📍 場所:バビロニア(現在のイラク)
🕰 時代:紀元前600年ごろ(古代メソポタミア文明)
✅ 粘土板に刻まれた世界最古の「地図」と考えられる
✅ バビロンを中心に世界の様子を示し、場所ごとの情報を視覚的に伝えている
✅ 地図という形で、情報を整理しながら伝える点でインフォグラフィックの原型
3. 近代的なインフォグラフィックの誕生:「ウィリアム・プレイフェアの統計グラフ」
当時イギリスでは小麦の値段が高く、人々は不満をいだき、その理由に「賃金が価格を押し上げている」と主張する声が強かった。それを聞いたウィリアム・プレイフェアは、小麦の価格を人件費に対してプロットすることで、それが真実かどうかを確かめようとしました。
プレイフェアのグラフは、小麦の価格よりも賃金の上昇の方がはるかに緩やかであることを明らかにしました。
ウィリアム・プレイフェア(1759-1823)は、「現代インフォグラフィックスの父」と称されるスコットランドの経済学者・統計学者。1786年に世界初の折れ線グラフ・棒グラフを発明し、1801年には円グラフを考案。
データを視覚化する手法を確立し、統計の理解を飛躍的に向上させた。特に、経済・貿易のデータ分析に応用し、情報伝達の革命を起こした。彼の発明した視覚化技法は、現代のビジネスやデータ分析にも欠かせないものとなっています。
📍 場所:イギリス
🕰 時代:1786年(18世紀)
✅ ウィリアム・プレイフェアが「折れ線グラフ」「棒グラフ」「円グラフ」を発明
✅ 「商業・政治・経済の統計図表」などを使い、データを可視化した
✅ 現代のインフォグラフィックの基礎を築いた人物として知られる
日本初のインフォグラフィックはいつ?
📌 1. 日本最古のインフォグラフィック:「行基図」
⏳ 時代:奈良時代(8世紀・約1300年前)
📍 作者:僧・行基
✅ 日本最古の地図の一つで、日本列島の形を図示
✅ 位置関係を視覚的に伝える工夫がされていた
✅ 後の地図作成の基礎となる
2. 江戸時代のインフォグラフィック:「道中図・見取絵図」
⏳ 時代:江戸時代(1600年代)
📍 例:「東海道分間延絵図」「伊勢参宮名所図会」など
✅ 街道の距離・宿場町の位置を視覚的に表現
✅ 現在の路線図や観光マップの原型
3. 統計を活用したインフォグラフィック:「福沢諭吉の統計グラフ」
⏳ 時代:明治時代(1870年代)
✅ 福沢諭吉が西洋の統計グラフを紹介
✅ 棒グラフ・折れ線グラフを使い、データを可視化
世界で注目されたインフォグラフィック
コレラ感染源を特定したジョン・スノウの「コレラマップ」

⏳ 時代:1854年(19世紀・ヴィクトリア朝時代)
📍 場所:イギリス・ロンドン(ソーホー地区)
✅ ロンドンでコレラが大流行し、多くの死者が出ていた。
✅ 当時は「瘴気説(悪い空気が原因)」が一般的で、感染経路が不明だった。
✅ 医師ジョン・スノウが「水が原因ではないか?」と仮説を立て、調査を開始。
📌 すごいポイント(世界初の疫学インフォグラフィック)
1️⃣ 「死亡者の分布」を地図上に可視化(1854年のコレラマップ)
🔹 彼はロンドンのソーホー地区の地図を使い、コレラで亡くなった人の家に印をつけた
🔹 黒い棒グラフのような点を重ね、被害の集中地を特定
2️⃣ 「ブロードストリートの井戸」が感染源だと特定
🔹 死者の多くが共通して使っていたのは「ブロードストリートの井戸」だった
🔹 逆に、近くのビール工場の従業員はコレラにかからなかった(彼らは水ではなくビールを飲んでいた)
3️⃣ 汚染水説を証明し、井戸のハンドルを撤去!
🔹 行政に訴え、井戸のポンプハンドルを外させたところ、コレラの流行が収束
🔹 「コレラは水を通じて広がる」という事実が証明され、瘴気説が否定された
地下鉄路線図の革命:ハリー・ベックの「ロンドン地下鉄マップ」
古い地下鉄地図

新しい地下鉄地図

⏳ 時代:1930年代(1933年発表)
📍 場所:イギリス・ロンドン
✅ 当時の地下鉄マップは、実際の地理に忠実で分かりにくかった
✅ 都市の拡大とともに地下鉄網も複雑化し、乗客が混乱
✅ ハリー・ベック(Harry Beck)という技術者が「電気回路図」の手法を応用し、新しいマップを考案
📌 すごいポイント(世界初の「抽象化された路線図」)
1️⃣ 実際の地理を無視し、「わかりやすさ」を優先!
🔹 それまでの地図は地形に忠実だったが、ハリー・ベックは「距離や地形は不要」と判断
🔹 代わりに、直線・45度・90度のシンプルなラインだけで路線を描いた
2️⃣ カラフルで視認性の高いデザイン
🔹 各路線に異なる色を割り当て、瞬時に識別できるようにした
🔹 円や点で駅を示し、乗換駅を大きくすることで直感的に理解しやすくした
3️⃣ 乗客の「目的」にフォーカス
🔹 駅間の正確な距離よりも、「どこで乗り換えるべきか」が一目でわかることを重視
🔹その結果、乗客がストレスなく路線を理解できるようになった
天気予報図革命:フランシス・ギャルトンの「初の気象図」

⏳ 時代:19世紀(1861年発表)
📍 場所:イギリス
✅ 19世紀以前、天気予報は科学的ではなく、経験則に頼っていた
✅ 産業革命の進展で、正確な気象情報の必要性が高まる(特に海運・農業)
✅ フランシス・ギャルトン(イギリスの科学者)が、気象データを「地図」に視覚化し、近代的な天気図を考案
📌 すごいポイント(世界初の「気象図」)
1️⃣「気象データを地図上にプロットする」発想
🔹 気圧・風向・気温・降水量などのデータを地図上に配置
🔹 それまで「文章や数値」でしか表されていなかった天気情報を視覚的に整理し、直感的に理解できるようにした
2️⃣「等圧線」を初めて描いた!
🔹 ギャルトンが等圧線(同じ気圧の地点を結んだ線)を導入し、気象のパターンを可視化
🔹 これにより、気圧配置と天候の関係が一目でわかるようになった
🔹 現代の天気図にも使われている基礎概念
3️⃣「天気の変化を予測できる」画期的なシステム
🔹 ギャルトンの気象図は「現在の天気」だけでなく、「未来の天候を予測する」ための画期的なツールだった
🔹 「低気圧の移動が悪天候をもたらす」などの概念が広まり、天気予報の科学的手法の基盤ができた
伊能忠敬の日本地図がインフォグラフィックを認知?
伊能忠敬の日本地図(伊能図)は、日本におけるインフォグラフィックの認知に大きく貢献したと考えられますが、当時の日本で「インフォグラフィック」として意識されたわけではありません。
伊能図は確かに「データを視覚化したもの」ですが、本格的に統計やグラフを「視覚化」のために使う意識が広まったのは、明治時代に福沢諭吉が統計グラフを紹介してから(1870年代) です。
伊能忠敬の日本地図が与えた影響
⏳ 時代:江戸時代(1800年代初頭)
✅ 正確な測量による「視覚的な情報伝達」の確立
→ それまでの「行基図」や「道中図」は概略的だったが、伊能図は科学的な測量を基に作成された
✅ 地図の実用化で「情報を図で伝える」文化が広まる
→ 幕府や学者が利用し、インフォグラフィックの考え方が根付いた
✅ 視覚的データ表現の価値を認識させる
→ 地図を通じて、「数値や情報をグラフィックで表すことの重要性」が理解されるようになった
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